今月の定例句会  2012・11・25

句会抄

 

呟いてみても一人の葛湯かな     イカ

冬日和観音裏の釜めし屋     イマ

山茶花や思はぬ人の車椅子     ワユ

追伸に再婚とあり冬ぬくし     ワユ

膝折って母の爪切る小春かな     シケ

小衾を首まで寄せて神渡     コフ

御講凪本願寺へとひかり号     イケ

冬ざれの入江の船の灯りけり     シケ

茶が咲いて問はねばならぬ墓一つ     イカ

風花や北のホテルのドア二重     アヒ

冬はじめ未知なる老いへまた半歩     イマ

味噌汁の湯気まっすぐに今朝の冬     イレ

時雨忌や日常知らぬ句の仲間     オミ

短日や淦掻き終へし沼漁師     イカ

七五三老舗料亭一家族     チシ

短日や淦掻き終へし沼漁師     イカ

七五三老舗料亭一家族     チシ

 

 

感 想

 

●呟いてみても…の句、

呟くということは、もともと一人言です。一人を強調していますが「声出してみても…」ぐらいのさり気なさ、の方が…

 

●冬はじめ未知なる老いへまた半歩…の句、

そう思う出来事が冬のはじめにあったのでしょうか。多分、冬を迎えるという節目にそう感じたのでしょう。そうであれば、「冬に入る」。

 

●小衾を…の句、

「こふすま」と読みます。「衾」は、夜具のことで「こ」は接頭語ですから小さいという意味ではありません。珍しい題材の句で、ああ俳句だなあという感じ。古い言葉遣いですが忘れてはいけない感じです。

「神渡」は、「かみわたし」と読み、出雲大社に渡る神々を送る意。旧暦10月に吹く西風に乗って行くということから、その頃の西風のこと。季節感横溢する句です。

 

●御講凪…の句、

御講は、報恩講のことです。この頃いい日和がつづきます。そのひと日、京都へと。それは、「ひかり号」で分かります。こういう形が俳句表現の骨法です。

京都までは、「のぞみ号」の方が早く着くことは承知している人は多く、急ぎ参ずるという意を込めようとしてこれを「のぞみ号」としていたならば、多くの凡作の一つとなっていたことでしょう。神仏に掛ける「のぞみ」とこの「のぞみ号」が重なり、意味明瞭の卑しい句になってしまうからです。

 

●披講しにくい句

披講者泣かせの句がありました。それだけでよい句でないことが分かります。リズムに乗った気持ちの良い句を心掛けましょう。

 

風呂吹きの切れの厚さも12月

身構へもなく凩にあひにけり

 

これらの句に披講者が手こずっていました。

 

●句会で配られた清記用紙、一枚目にあった句、

 

冬うららカナリア喉を振るわせり

柚子の香に癒されてをり齢のせい

小熊手も三本締めの福賜う

枕辺のラジオを消すや秋寒し

法螺の音や風葬を待つ冬紅葉

これよりの今を大事に木の葉髪

冬帽子天皇ラブのテニス場

 

寂しい句会になりそうでしたが…

「御講凪…」の句のように、であいました。何も云わなくても分かる句がいいのです。

東村山・千体地蔵堂地蔵まつり         201.・11・3

作品抄


ボランティアガイド老人文化の日     イカ
てらみちの茶が咲いてをりこぼれをり
巫女舞の済みし十月櫻かな
参道の日当たつてゐる石蕗の花
鴉啼いて国宝といふ地蔵堂

        

小流れに小魚群れて秋澄めり       オミ
降り立ちて東村山秋の色
庭先に野菜と菊の盛りなり
浦安の舞の厳か秋日和
屋根の反り見惚れて秋の地蔵堂

         

鎌倉へ続く道なり柿たわわ        チシ
寄り道の大善院の草紅葉
秋天や青信号の続きゐる
水澄むや弁天様の太鼓橋
秋晴や東村山ボランティア

         

湧水池町に残りて鴨来たる        アノ
町中に家庭菜園菊咲ける
柊の垣の旧道秋高し
国宝の寺ある町や柿の天
寺は秋扇垂木と花頭窓

        

晩秋の柊垣に力満つ           ヤミ
浦安の舞の始まる小春かな
秋天を持ち上げるかに屋根の反り
椎の実降る板碑の御堂扉を閉ざす
地蔵堂の天井高し冬めける

        

柿吊るす村山党の裔の町         トンボ
水澄めり地蔵まつりのボランティア
天高し浦安の舞地蔵堂
花びらの中に山茶花地蔵堂
笙の音や地蔵まつりの焼そば屋

浦安の舞
浦安の舞
地蔵堂山門
地蔵堂山門
大善院参道
大善院参道

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