入選句
文豪の坐禅せし部屋紅葉映ゆ タリ
売卜や机一つと寒燈と アヒ
なまこ壁つづく町並寒椿 イア
禿頭も白髪も燥ぐ(はしゃぐ)年忘れ イフ
五右衛門の湯かげんよろし火吹竹 コフ
赤信号待つ一刻の年の暮 ミノ
雪吊や加賀という名を昨日今日 ナミ
雪吊の下知きびきびと老庭師 ワユ
※今月は不作で上記の物をやっと採りました。
「売卜や」の句、売卜をせざるを得ないような作者を思わせ、その自嘲の句のようにも。
「売卜の」と、するとどうなるでしょうか。机一つと寒燈のもとに街に佇む人物という事に…作者が見た景?
「や」は、作者の強い思い入れを表現するものです。
●入会間もないタリさんの句
・文豪の坐禅せし部屋紅葉映ゆ
この句の原句
・文豪の坐禅の部屋や紅葉映ゆ
鎌倉長谷寺出の吟、文豪は、夏目漱石。そうであれば、「坐禅せし部屋」でしょう。
●タリさんの次の句など、季語の理解がしっかりしていないように思えます。
・冬木立古寺の山門静かなり
・冬晴れの古寺の山門静かなり
・錦繍に伽藍の甍屹立す
※「錦繍」という季語はありませんので今の季節、「冬紅葉」に置き変えてみます。
・冬紅葉伽藍の甍屹立す
・波頭白し剣投ぜし古戦場
※「波頭白し」は季語ではないので別のものに置き変えましょう。情景を想像して「風花」ならどうでしょう。
・風花や剣投ぜし古戦場
・雪吊りの幾何学模様冬隣り
※「雪吊り」は、冬の季語。「冬隣り」は秋の季語ですから「季重なり」です。
また、「雪吊り」、「冬隣り」の「り」の送り仮名、動詞ではなく、名詞として使われていますので付けません。雪吊の句として再考を要します。
当日作品抄
冬晴や勝鬨橋はいま開かぬ イカ
木の葉降るむかし軍艦操練所
ひともとは枝垂れし冬木大公孫樹
雄雌の大獅子頭黄葉散る
人に蹤くのみに築地の十二月
勝鬨橋行き交う人や年用意 オミ
心地良くシャッター押され冬ぬくし
黄落の下にありけり玉子塚
魚河岸に波除神社公孫樹散る
気がつけば人にまぎるる師走かな
そこどけと通る台車のくろ鮪 イケ
店頭へはみ出し居れる鱈場蟹
荷おろしの手鉤忙しき師走かな
勝鬨橋昔を今に北の風
極上の握りも築地十二月
空ッ風ふわりと盛られ削り節 アヒ
根菜の中の一色京人参
新海苔の黒ひと色の海苔の店
黄葉の銀杏一樹に一社
山茶花や市の喧騒遠くして
ぞろぞろと只ぞろぞろと師走くる アノ
銀杏散る海老塚すし塚鮟鱇塚
築地冬人と台車を避けながら
親鸞の生涯絵図や冬の朝
冬晴れや勝鬨橋を逆光に
冬の午後押して押される市場かな イフ
訪ね来し勝鬨橋の冬ぬくく
北風の中熱く掛け声こだまして
願掛ける波除稲荷は冬黄葉
外人も生牡蠣すする十二月
風を聴く勝鬨橋の十二月 ヤミ
場外に師走の騒や糶市場
天井大獅子銀杏葉を浴び厄払ひ
初慈姑箱ごと買へと言はれても
人の背を分けて年の瀬玉子焼き
北風を勝鬨橋にかかりたる トンボ
縦よこに人入れ交る十二月
背を追へばわが背にも人十二月
雑踏のぐらりと動く師走来る
雑踏を分けて年の瀬迫りくる
※ 年末の「市」( 歳時記に拠る)
歳の暮になると新年用の品物を売る市が立ちます。十二月中頃から大晦日まで社寺の境内などにに立つ市を「年の市」といいます。
「ぼろ市」は十二月十五、十六日に世田谷の旧代官屋敷前で開かれるものをいいます。
「羽子板市」は、浅草浅草寺で十二月十七、十八日に開かれるもの。