◎今月の定例句会 2014.6月22日

当月雑詠抄

 

空仰ぐ祖母の匂いの梅雨晴間      イフ

約束の五色豆買ふ梅雨晴間       ヤミ

墨染の挙措美しや夏料理        ヤミ

返り点頼りに古文夏ともし       アノ

雲の峰野面積みなる石の声       アヒ

五月晴客待つ顔の理髪店        ミノ

限りある命を惜しむ初螢        ミノ

甚平や父の似合いの納戸色       イケ

日傘してレビュー出待ちの人となる   シケ

たも担ぐ少年二人青田風        シケ

洟垂れの河童七十水の番        コフ

夏椿手足の長き女学生         オミ

長雨や上がり框へ羽抜鶏        ナミ

 

・添削句

・原 句 五月晴客待ち顔の理髪店

・添削句 五月晴客待つ顔の理髪店

 

・原 句 限りある命惜しむか初螢

・添削句 限りある命を惜しむ初螢

 

・原 句 甚平や父の似合いし納戸色

・添削句 甚平や父に似合いの納戸色

 

・原 句 日傘してレビュー出待ちの人となり

・添削句 日傘してレビュー出待ちの人となる

 

・原 句 鼻たれの河童七十水見舞

・添削句 洟垂れの河童七十水の番

 

・原 句 夏椿手足の長い女学生

・添削句 夏椿手足の長き女学生

 

・原 句 午後一時時報のごとし牛蛙

・添削句 午後一時時報のごとく牛蛙

※三つに切れている三段切れです。「午後一時」に切れあり、そうすると」中七下五は、「時報のごとく」と意味がつながるようにする。これが二句一章の型。

 

・原 句 梅雨晴間菓子屋横町蔵の街

・添削句 梅雨晴れを菓子屋横町蔵の街

※典型的な三段切れの句、どこかで切って二句一章の句にしましょう。そこにいたことを詠みたいのであれば、「梅雨晴れを」となります。景色として詠みたいのであれば、「梅雨晴れの」となります。

 

・原 句 老鶯の登り坂なり切通し

・添削句 老鶯や登りにかかる切通し

※老鶯の声の聞こえる上り坂を詠んでいるのでしょう。「老鶯や」と上五に大きく置くとその場の情景が立ち上がります。季語の遣い方の一例です。

 

・原 句 枇杷の実を神と仏に分け供ふ

・添削句 枇杷の実を神と仏に供へけり

※丁寧に「分け供ふ」とするまでもないでしょう。

 

・原 句 風鈴の短冊替へて夏は来ぬ

・添削句 風鈴の短冊替へて風を待つ

※「風鈴」と「夏は来ぬ」は、無意味な季重なりです。風鈴を替えて待つのは、鳴りを確認したいのでしょうから単純に言えば、「風を待つ」。あとは何を期待するか、そこがこの句の命です。

 

●季後をよく確認しましょうう

 

鼻たれの河童七十水見舞   

 

「水見舞」は、水害の見舞いを意味する季語です。水争いが起こるこの時期、当番制で水の番をします。多分このことを詠んでいるのでしょう。季語に、「水の番」があります。

子供の頃、あの「洟垂れ河童」と言われていた悪童が、いまや七十。

あの鼻ったれとか、あのワッパなどと子供のときに言われるような、とにかく目立つ悪童がいたものです。この「洟垂れ河童」は、それでしょう。悪童の代名詞として、これもうまく使われているようです。

     洟垂れの河童七十水の番

 

 

滴りや笛の音高き里神楽

 

「滴り」は、夏の季語。「里神楽」は、冬の季語です。

「里神楽は、禁中の御神楽(みかぐら)に対して、諸社や民間で行う神楽、また村里で行われるひなびた神楽」と広辞苑にも書かれています。冬になり農作業も片付き自分たちの楽しみのために行われます。

現在では、時を選ばず観光用に舞われることがありますからその笛の音色から里神楽が連想されたのでしょう。

滴りとありますから場所もひなびた山里。こういう句になる条件が整いました。ところが俳句の約束では、夏と冬の混在した句となってしまいました。

 

一案として

 滴りや笛の音高き里祭  

夏の季語、滴りと祭の季重なりです。滴りが主になり場所を活かした句

 

もう一案

 隠れ沼笛の音高く里祭 

祭は、夏の季語。季重なりを避ければ…

 

夏祭は、都会では、疫病よけで行われ、農村では、「虫おくり」。違和感が残り、どちらも完成した句とは成り得ないようです。

「里神楽」の句として再考をしてみるのがよいでしょう。

 

●いつ詠むか

 

忌日の句は、命日に詠むべきと言う話が出ますが、ごく限られた句会でそのようにしているところがあるようです。

 

俳句は、先読みが原則で、その日でなければいけない、ということは、たとえ、忌日を詠む場合も同様です。

 

詠む人、詠まれる人の関係の濃淡によって様々な在りようが出てきますが、

当日に詠ずるのは、特に関係の濃い故人の場合には、ありうるでしょう。

 

先読みするのは、関係の濃い、淡いに関わらず、その人への親しみや尊敬、などなど、その気持を詠むことになることでしょう。

 

いつ詠むかは、限定すべきだはなく、それぞれの場面で、自ずから、内容、発想が異なって句となって現れてくることでしょう。

 

何何を詠もうということを条件とする時がありますが、例えば、今回の吟行では、「本土寺の花菖蒲を詠む」となっていましが、こういう勉強法があります。

 

ただ単に、忌日はすべて当日に詠むという、このような限定条件は、無用です。

題材に対してどのような立ち位置で、どう向き合うか。これこそが重要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

◎北小金本土寺の花菖蒲を訪ねて       2014・6月7日

当日作品抄

 

菖蒲見に傘提げてくるまた一人    イカ

本土寺の鬚題目や梅雨最中

方丈やほたるぶくろの赤と白

八つ橋に女流の待てり花菖蒲

町役場跡とありけり若楓

 

梵鐘や青葉若葉の雨の中       チシ

敷石を辿りてゆけば花菖蒲

花菖蒲独りはぐれて迷ひけり

花菖蒲仁王門にて雨やどり

雨に来て雨に帰りし七変化

          

本土寺の長き参道梅雨に入る     オミ

降る雨に動き出したる蝸牛

六月の雨せわしげに鎖樋

紅白の螢袋の咲く小径

紫陽花や猪目懸魚なり猪目懸魚

         

八橋に傘傾げつつ花菖蒲       シケ

青時雨老師ゆかりの四脚門

睡蓮の咲きいる奥の像師堂

道端のほたる袋へ顔寄せる

紫陽花の中に塔ある古刹かな

          

青楓雨の山内明るうす        アヒ

雨激し紫陽花寺の鎖樋

高きより一望雨の花菖蒲

方丈へ蛍袋の白灯す

どくだみの生ふるを許す寺の内

          

額の花雨の本土寺静かなり      イフ

色を増す雨の紫陽花風に揺れ

紫陽花の濃くも淡くも花菖蒲

青楓分けて読む句碑小糠雨

いつの世も白きどくだみひそやかに

         

濃紫陽花接写に身体濡らしおり    アノ

雨粒の睡蓮を打つ法の池

花菖蒲萎えて背筋の正しかり

梅雨に入る煙る本土寺猪目懸魚

一山の煙りし中の花菖蒲

           

梅雨最中紫陽花寺の傘の花      ミノ

鐘の音青葉若葉の雨の中

若楓山門にある千社札

八ツ橋を渡り菖蒲の中に入る

暗がりに本堂の灯梅雨しとど

           

あぢさゐや五重塔と猪目懸魚     ヤミ

本土寺の満目濡らす走り梅雨

方丈の戸を閉ざしをり螢草

花菖蒲雨の八つ橋去りがたく

像師堂の乳出霊水梅の雨

          

女傘六つ連なる花菖蒲       トンボ

雨足の駆けてゆくなり花菖蒲

衣ずれの音は空耳花菖蒲

八橋の雨に濡れ行く花菖蒲

 

常磐線北小金駅梅雨に入る