当月入選句
新涼のJAZZの流るる料理店 イマ
葛咲ける父の遺せし畑なり シケ
龍擔をほとけの花に加へけり イカ
甘酒の匂ひのほのか祖母の家 ミノ
夏帽子取りて手櫛の八十(やそ)余り ハセ
冬瓜の二つもらひぬ母来ぬか ヤミ
不許葷酒入山門灼けてをり イカ
※不許葷酒入山門(さんもんをいるをゆるさず)
新涼や風を編み込むおさげ髪 アヒ
朝の香炷けば芙蓉の咲きにけり イカ
桐一葉ゆらりと心に横たはる イレ
桐一葉店のシャッター下りしまま ハセ
添削句
原 句 新涼やJAZZが流れる料理店
添削句 新涼のJAZZの流るる料理店
原 句 葛咲いて父の遺せし畑なり
添削句 葛咲ける父の遺せし畑なり
原 句 甘酒の匂ひほのかに祖母の家
添削句 甘酒の匂ひのほのか祖母の家
原 句 夏帽子取りて手櫛の八十路かな
添削句 夏帽子取りて手櫛の八十余り
原 句 冬瓜の二つは多し母来ぬか
添削句 冬瓜の二つ貰ひぬ母来ぬか
原 句 朝の香炷けば芙蓉の咲いてをり
添削句 朝の香炷けば芙蓉の咲きにけり
添削句 朝の香炷きて芙蓉の咲いてをり
添削句
原 句 告げられる夫の余命や桐一葉
添削句 夫の余命告げられし日あり桐一葉
原 句 虫の夜昭和歌謡で更けにけり
添削句 虫の夜昭和歌謡に更けにけり
原 句 入院の日取りを決めて残暑かな
添削句 入院の日取りの決まる残暑かな
原 句 湯浴み後の我包み抱く天の川
添削句 湯浴み後の我を抱ける天の川
原 句 ひぐらしやとぎれとぎれに陽の落つる
添削句 ひぐらしのとぎれとぎれや陽の落つる
原 句 炭坑節揃ひゆかたの踊り果つ
添削句 炭坑節揃ひ浴衣に踊りけり
原 句 傷心も笑顔に包む踊りの輪
添削句 傷心を笑顔に包む踊りの輪
原 句 秋立つ日秋の気配は何もなし
添削句 秋立つ日秋の気配の何もなし
原 句 色あせた軍事郵便敗戦忌
添削句 色あせし軍事郵便心太
※「心太」は、「ところてん」のこと。この句は添削を超えて改作になっています。ストレートに意味は通じ難いと思いますが戦後69年たった今の感懐を表現したものになります。
※この中から何かを学び取ってほしいと願っています。
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 子規
この句には、数か月前に夏目漱石が鎌倉の建長寺で詠んだ
鐘鳴れば銀杏散るなり建長寺
があり、それを踏まえている句として知られています。
このことには触れていませんが、この句について現代俳句の目利きと云われている山本健吉は、次のように書いています。
「法隆寺の茶店に憩ったときの作で、寺にはこの句碑が建ててある。何の技巧もなく、ブッキラボウに詠みはなしたような句だか、どことなくユーモアがあってよい。子規はことに柿が好物で、柿の句を無数に作っている。」
子規の残っている著作に依れば、柿を一遍に10個も食べるほど柿が好きだったようですね。
身に染みついた感覚を大事に自分の身から出た句というのでしょう。「どことなく夕―モアがあっていい」というのはこの辺りから滲み出ているのでしょう。
句柄の大きく、格調の高いこの句の様な「ブッキラボウ」の句、最近は忘れてしまっているようです。そして、小賢しく、あれがこうしてこうなったというようなう意味をもった句が氾濫しています。
作句はまず、句柄の大きい格調をもったこのような句のリズムをまず体得して欲しいもの。
8月は恒例により夏休みです