入選句
老いの波ゆうらゆうらと冬に入る ナミ
四つ辻の折れてそこから石蕗の花 ミノ
髪置の児に愛そして泣かれけり イカ
駅前のイルミネーション冬に入る アノ
冬日和観音様の大提灯 コフ
商ひの家に門なし落葉掃く みなみ
冬日和なんぢゃもんぢゃは只の木に イカ
ワイン買う我が身に勤労感謝の日 ナミ
枯葉踏み奥の院まですすみけり チシ
旧兵舎石蕗の花咲く切通し イア
枯葉には枯葉の言い分散るしかない ナミ
地蔵堂枯葉だまりとなつてをり イカ
神木の高きに残る枯葉かな シケ
●添削前の句
・切通しレンガの兵舎石蕗の花
三段切れで一句が描くものが明確でないので二句一章の形にして景色を明らかに。また、現在日本には、兵舎はないはずで、これは旧兵舎のことでしょう。この作者、この辺の認識がしっかりしていないようです。
レンガどうかは、旧兵舎から読者に想像してもらうこと。
●気になること
・髪置の児に愛想して泣かれけり
の句、採りましたが、難しい場面を画いていますが「愛想して」にゆるみが感じられます。
この作者の句
・炉話や今年逝きたるひとのこと
・湯豆腐の小鍋仕立も八年に
哀しみをモチーフにしているようですがそれれが伝わりません。この二句は、報告と言っていいでしょう。
湯豆腐の句は、伴侶を亡くされていることを分かっていますからこの「小鍋仕立」が大変気にかかります。自分一人用の鍋と言うことなのでしょうが…
料理屋や居酒屋ならば、そういう言い方で不自然さはありませんが、自分の食卓ともなれば…、どう考えても、いいとは言えないように思えます。
この句は、独居が八年になったという哀しみの句のようです。そのための不自然さなのでしょう。
独居暮らしも八年になり、小鍋仕立てだと言いながら哀しみを裏に隠しての表現として生来ているかどうかが問われるところでしょう。
初心者の気を引く表現であることは間違いありませんから、句会では点を集められるでしょうが、佳句とは云えないと思います。
意欲的に取り組んだ句でありさすがベテランの句ですが、これで良い表現と真似をされてしまっては困りますので敢て書いておきます。
●苦労して何でも俳句にしてしまう努力は素晴らしいと思います。それが上手くいけばよいのですがそう簡単には、成功しません。
気になる句をいくつか示しておきます。赤く示したところですが、本人は一番上手くいったと思っているところでしょう。
再度挑戦してみてください。
・せこ蟹を黙々せせる尼の前
・小春日や枡目十七埋める旅
・浅漬を囲みて笑まし笑わかし
・報恩講お平らにでんと大飛竜頭
・がらがらと摺鉢の音とろろ汁
※報恩講のお平、知りませんでしたが、こんなものだそうです。↓
洋館へ曲るいしざか木の実落つ イカ
山茶花や音羽御殿といま云はず
日当りて芝やはらかく枯れてをり
絵硝子のモチーフは鳩秋澄めり
秋日差す大礼服の飾られし
中庭の冬ばら満開写真撮る ハセ
山茶花の咲きて鳩山記念館
飛石のかくれて芝の枯れており
政治家の遺品見ており冬ひと日
特急の過ぎし線路の草紅葉
花八つ手車寄せへと上り坂 アヒ
バイオリン曲流るるサロン冬隣
鬼柚子の己が重さに枝撓る
鬼柚子や四代続く鳩山家
落葉道ゆるきカーブの下り坂
玻璃越しの池と芝生と秋の薔薇 アノ
宰相の住まいし館秋深し
友愛をかかげ四代冬近し
洋館の庭に灯籠秋惜しむ
染付の皿や小鉢や鰤御膳
その奥に鬼柚子の香の満ちており イア
ド・ゴールとド・モナコてう薔薇秋の風
友愛と宰相館秋の風
秋澄むや薔薇の香れるバルコニー
登り来て喧騒離れ薄紅葉
ありし日の総理の像や秋惜しむ チシ
蔓薔薇のアーチも冬に入りにけり
小春日やソファにもたれ見るビデオ
登りゆく落葉の中の石畳
暮の秋大道芸を見てをれり
実むらさきまず目に入りて洋館へ ミノ
晩秋の窓より眺む薔薇の園
盆栽の松の木肌や秋ぞ行く
主なき和室静まる冬隣
さざんかの白の盛りに来合わせる
盆栽も薔薇も明日から冬に入る トンボ
明日からは冬に入るなり薔薇の園
洋館もブロンズ像も末枯るる
山茶花の下の石窪花の色
大道芸太鼓の一座秋深し
※「鳩山邸」と詠んだ句が多数ありボツにしております。吟行地のここは、「鳩山記念館」です。
この違いをしっかり認識しておくことが大事です。
※作者の意図とは違う読み方が生まれる可能性があること、これも意識しておくことを付記しておきます。
参考資料
北陸地方を中心に深く信仰される浄土真宗。宗祖・親鸞聖人の命日前後に行われる法要が報恩講。
飛騨・五箇山でもてなされる報恩講御膳。
左に「おひら」があります。
※これは、「ジパング倶楽部」2015・12月号から
それぞれの土地で特有のものがあるのでしょう。