◎2015・6月 定例句会報     2015・6・28

当日入選句

 

梅雨鯰天ぷら美味し南無阿弥陀        ナミ

夏雲や向こうに詩人ことば館         タリ

冷奴生姜茗荷よ削り節            オミ

箱釣に競うことなど久しかり         シケ夢の母呼べば応える半夏生          ナミ

白南風やコップの下にコースター       チシ

 

●添削して採用した句の原句

 

・夏雲や向こう詩人ことば館

・夢の母呼べば応え半夏生

・白南風やコップの下コースター

 

 

今月は、ちょっと不作でした。

 


添削して採ろうとして、ヤメタ句があります。

 

かな書きの茶掛の一首風炉手前

・茶席にかける掛物を茶掛と言うようですが、墨跡と言われるものや古筆があります。墨跡とは、禅僧の手によってなるもので多くは禅語でしょう。古筆とは、鎌倉時代にさかのぼる時代に書かれたすぐれた筆跡を言い、特に和様の書やかな書きのもの。

実際には、このような格調の高い物が使われる茶会はそうそうあるものではなく、一般にはそれ相当なものを使って行われるのではないでしょうか。稽古ということもあるでしょう。この茶席がどのような格式をもったものか分かりませんから失礼があるかも分かりませんが

  かな書きの茶掛のかかる風炉手前

であれば、句としては軽い内容ではありますが、そういう茶席か、とその様子が窺えます。

平凡であっても俳句としては型になっています。

 

茶席では、お道具というようですが、道具、茶掛なども当日使うものには、亭主の言外の言が籠められているとも聞きます。その日の亭主の心映えがこめられていているといいますから

   茶掛の一首

といわれると、その一首がクローズアップされて、そこに興味が向きます。前述した亭主の言外の言がその一首に込められていると期待されますが、

それをうけて

   風炉手前

では、焦点がずれて、肩すかしの状態になります。

また、かな書きといえば、和歌と思いますので、一首というと重複表現となってしまいます。


 かな書きの茶掛…墨跡と云われるものではなく

         かな書きの茶掛ということ

 茶掛の一首…かな書きの茶掛でそこに書かれている

       一首のの内容


ということになり、同じように見えますが、同じものではありません。


どういう意図の句なのか分かりませんが、見た限りあいまいです。一句として成功させるには、素材となるものをしっかりと理解、把握しておくことが大事です。今回のこの句は、句会では、好評のようでしたが大きな欠点があります。読み方も、同様な理解不足のような気がします。


※同じように、句の焦点の当て方が気になった句がありました。

・白南風やコップの下のコースター

の句です。

このコースターに何か特別な意味がありそうに思える表現です。白南風よりもコースターの句になってしまいました。

特別な意味などないと思えますので

・白南風やコップの下にコースター

と白南風に対する単なる一点景物として扱い、添削し採用しました。

 

●本水に濡れる花道夏狂言

・本水は、芝居で本当の水を使うこと。また、本泥と云うのもありますが、舞台で本当の泥を使い、その泥の中で演技をする演出です。

本水を使う演目は、夏狂言には多く、こういう狂言を夏芝居と言い、主人公が水に濡れながら決まりの演技をします。夏の楽しみ。

この句、

・本水に濡れて花道夏芝居

と、役者が本水を浴びそのまま花道の七三に来て決まりの形を見せているところと思っていましたが、花道が本水で濡れているという句であると作者の言葉がありました。夏芝居ではなく、夏狂言と云うのもそこから来ているのでしょう。

作者は、そこに興味があったようです。


  本水に濡れて花道夏芝居


と、添削して採用しようとしましたが、作者の興味は「濡れる花道」にあることがわかりましたので、それでは、採れません。

俳句の世界として、これが好いとか悪いとか、別にとやかく言うことではないでしょう。


こういう即物的な素材に興味を持っている作者ということなのでしょう。

 

●山門の敷居にかかる夏落葉

山門の下の方にある横木を敷居と呼びます。山門の敷居は外の世界と内の世界(あちら側とこちら側/異世界)を分ける境界で、どちらにも属さない不確なところ。実景なのかもしれませんが、季語の「夏落葉」では役不足と思います。

例えば、

 山門の敷居の上の雨蛙

とでもすると、この山門の建っている場所なども想像されてくるでしょう。

折角なので季語を活かして使いましょう。

 

 

◎三ノ輪淨閑寺・延命寺・回向院吟行2015・6・6

作品抄

           

このあたり昔刑場濃紫陽花        イカ

梅雨近し墓込み合へる淨閑寺

噺家の墓を斜めに蟻走る

をぐらきに観臓の碑や梅雨近き

夏の雲小塚原といま云はず


          

紫陽花や回向院から延命寺        チシ

歌笑塚蚊に刺されつつ拝しをり

「生まれては苦界」の句碑や五月闇

祭髪駅前広場の母と子と

夏草や首切地蔵百度石


          

懇ろに百合の花ある供養塔        オミ

雨蛙「山谷ひまわり地蔵尊」

木下闇耽美享楽荷風の碑

句帳手に芭蕉像見る夏帽子

この地より奥の細道雲の峰


          

寺を出て祭ばやしに出合いけり      ハセ

花菖蒲なに囁ける比翼塚

満開の紫陽花つづく寺通り

雨上り急いで干せば夏の雲

鉄線花給食係の白い靴


          

久に見るグラジオラスや供花の中     アヒ

跨線橋渡る梅雨空近くして

梅雨空や鉄路に二分されて寺

緑風や横一列の志士の墓

をさな子も抱きし母も祭髪


          

噺家も遊女も眠る青葉寺         アノ

あじさいや松陰露となりにし地

その昔刑場の跡梅雨近し

下闇やかつて遊女の投げ込まれ

幕末の名もなきも志士椎の花


          

ビル街も祭姿の母子づれ         イケ

くねり道たどれば首切地蔵尊

緑蔭に小塚原の由来板

寺を出て青葉の風の深呼吸

祭囃聞こゆる町のランチかな


          

観臓碑読み居て涼し小塚原        ヤミ

梅雨兆す黒く小さき志士の墓

白扇や若紫を見初めをり

施主の名の淨閑寺なり青葉風

薫風や玩具置かれし供養塔


          

世上には投込寺とぞ夏椿        トンボ

忘種とふ風の来てゐる淨閑寺

淨閑寺後にし天王祭の町

天王祭首切地蔵結跏趺坐

駅前へ祭のぞめき消え行ける

 

注目句

古くからさほどの句にならない素材と云うことが盛んに云われていますが、今回、そのような素材が頻出しておりました。どれがそれ?

各自で考えてみましょう。

 

その中から注目した句があります。

 

1.松尾芭蕉が深川の芭蕉庵から舟で奥の細道への旅のため上陸した地が、この吟行地の北にありあります。

 

●この地より奥の細道雲の峰

 

の句が得られたことは、収穫でしょう。

 

2.淨閑寺と云う、歴史の重みを持つと言っても、なにも形のない素材を詠むことは困難を極めます。

多くは、説明の句となります。その中で一つの典型的な方法をもって詠んだ句があります。先人に、このような詠み方が無いではありませんが、今回そのような句を得られたことは、これも収穫です。

 

噺家も遊女も眠る青葉寺