売られゐる羽釜と竈秋の雲
へうたんはへうたんなりき胡瓜もみ
新涼や竹林熊笹塩地蔵
疾く疾くと秋の雲なり猪目懸魚
眼下には駆込寺や風の秋
芝翫柄裁てる鋏の立てる秋
ひぐらしや関東平野雲一つ
八月のさびしさ宵となりにけり
露草の瑠璃の力の梅雨一つ
飲食(をんじき)音ぞさみしき秋に入る
板敷を通つて湯殿夜の秋
原 句
踊りの輪一重が二重三重となり
読み方
おどりのわひとえがふたえみえとなり
ポイント
この句を読んでつぎの大根の句を思い出しました。
「柳樽」にあるもので、馬鹿なことかな馬鹿なことかなとの与えられた題で詠まれた、
ひん抜いた大根で道を教えられ
という川柳です。
俳諧では、小林一茶の「七番日記」に
大根引大根で道を教へけり
というものがあります。
原句の「三重となり」というところ、この「柳樽」の表現によく似ていますね。
俳句の表現ではこのような表現をしません。
●踊りの輪一重が二重三重となる
となると俳句となります。ちょっとした味わいのある句になりますね。
原 句
海といふ大きな消壺揚花火
読み方
うみというおおきなけしつぼあげはなび
ポイント
大胆句ですね。こういう句は納得性が問われます。
ところで、「消壺」をご存知でしょうか。ある年齢以上の方はご存知でしょう。燃えている炭などもう必要が無くなり消すために入れる壺で蓋があります。その蓋でふさぐことによって空気を遮断して目ている墨を消すことができます。消えた炭はまた使えますね。
花火の炎が落下して海で消えてしまうので消す、と云う字に惹かれたのでしょうが、消壺は蓋があることですから、どうも相応しくありません。家庭で行う花火大会ではバケツを用意して終わった花火をざぶんと浸けて消しますが…
●海といふ大きなばけつ揚花火
こういう思い切った発想の句も、大いに楽しんでください。
原 句
西瓜切る音に目覚める昼下がり
読み方
すいかきるおとにめざめるひるさがり
ポイント
昼寝から覚めたときのことでしょう。音ではあまりにも理にかなってしまいます。
詩としての俳句、これは避けてほしいところです。
●西瓜切る香りに目覚む昼下がり
夏の喜びを生き生きと読みたいものです。
定例句会の句は「あっちへもこっちへも二歩散歩」