竹林に霧立ちのぼる朝かな
己が影己がつくる秋の夜
乳切木を手にして這入る栗林
馬の顔曳けば伸びくる秋の暮
石に声あるやもしれぬ秋の暮
吾亦紅半白花眼たのしめり
月の道行きてことばの玉の色
案山子らの百様百態高校生
栗飯の中にその日のありにけり
松風の一本道の秋の暮
枢いま落とす寺守秋の暮
菊日和鈴虫浮舟源氏香
原 句
十五夜をお供に連れて帰り道
読み方
じゅうごやを おともにつれて かえりみち
ポイント
十五夜は中秋の名月の日のことですから、お供に連れて歩くことはできません。お供にするのは歩くと一緒に動く月。それをお供と思ったのでしょう。
実は、それよりも致命的な問題があります。「お供」という表現です。添削句を示しますので参考にしてください。「お寺」とか「お三時」など、など、もその類です。
十五夜の月の付き来る帰り道
この添削句、現在では類想・類句として扱われてしまいますから、作品として発表するには、もう一工夫が必要です。
作品とは、先人の句を超えるということで、その意識が必要ですが、はじめはこのようなことから始めればよいでしょう。
原 句
菊日和愛車と共に祓はるる
読み方
きくびより あいしゃとともに はらわるる
ポイント
歴史的仮名づかいの句ですからそれなりの経験をされている人の句です。
この句も前の句と同じに、同じ致命的な問題があります。愛着しているものですから、それを「愛車」と云いたくなるのは分かりますが…。作品としては、どうでしょうか。
「愛犬」愛猫」「愛息」などなど、もそれです。
<菊日和車と共に祓はるる>、と添削するまでもありませんが、その一例として示しておきましょう。これで作品になります。
原 句
待宵や風の具合の稽古笛
読み方
まつよいや かぜのぐあいの けいこぶえ
ポイント
大変気持ちのよい句です。
稽古笛が、「風の具合」によって聞こえてくる、と、この説明が不要です。聞こえてくるのは、「風の具合」によるものですから。
待宵や時折風に稽古笛
で、十分です。このほうが、なお、情緒を高めてくれます。叙述よりも叙景を心がけることが俳句の修行です。
定例句会の句は「あっちへもこっちへも二歩散歩へ」