パソコンへ御慶の一打打ちにけり
朝からの雪止むラジオののど自慢
明日はまた真新しき日寒夕焼
臀の下冬を眠れるもののをり
胸の扉を風のたたける山眠る
三味線の音のかぶさる雪の降る
風花やスクランブルの交差点
寒夕焼ここかる海へ十二キロ
霜柱博物館をもたげをり
探梅やアンダンテカンタービレ
着脹れし自画像画いてをりにけり
顔に手を当てて冷たし小正月
大寒のブランコ鉄棒滑り台
風花や橋をくぐれる遊覧船
原 句
寒紅梅琴の音さやか東照宮
読み方
かんこうばい ことのねさやか とうしょうぐう
ポイント
寒紅梅と東照宮の取合わせだけでも、一段と清かな東照宮の様子が感じられますね。さらにそこへ琴の音を加え、念を押すように、清かと云ってしまっています。そのため、情景も、」「清か」な雰囲気も消えてしまいした。少なくとも、「清か」は、消しましょう。そして、さらに、「琴の音」も消して一句を完成させてください。
添削句
寒紅梅琴の音のする東照宮
原 句
もう顔の思ひだせない賀状来る
読み方
もうかおの おもいだせない がじょうくる
ポイント
文字通りこの句を読むと、今まで年賀状などもらったことはなかったけれど、突然思い出したように今年は、年賀状が来たがもう顔も思い出せない。ということなのでしょう。
それとも、何時も賀状は来るけれども、疎遠が続いて、顔が思い出せなくなってしまった、ということなのでしょうか。そこが曖昧ですね。多分、このことを句に詠んだものとして、添削句を示して置きます。
添削句
もう顔の思ひだせない賀状かな
原 句
寒晴や女人かかへし弓袋
読み方
かんばれや にょにんかかえし ゆみぶくろ
ポイント
女人と云う場合、ある年齢を重ねた女の人を連想しますね。高校生や女子大生などではないでしょう。そういう人が、弓の稽古に通っているのでしょう。「かかへし」ということで、この「し」によって、情景が見えなくなり、説明になってしまっています。俳句の要点は、「いま」「われ」「眼前」と云われたのは、今は亡き、上田五千石氏です。至言ですね。この句を「いま」にすれば、「眼前」に「われ」が見ている句になるでしょう。
添削句
寒晴や女人かかへる弓袋
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