2011・2月

トンボの句 雑詠抄

青き踏む西暦2011年

居留地の跡に白梅咲きにけり

歩み来し人と見てゐる坐禅草

猫柳五重塔の煙りをり

春水の膨らみ来る遠嶺かな

夕星や枝差し伸べる猫柳

この先の未来の日々のうすらへる

はじめての道に這入りて沈丁花

マフラーを外して現るる耳の白

握手して冬から春になりにけり

春雷のさわぐは前方後円墳

ももいろの積み上げられてはうれん草

 

 

読み方雑感

原 句

咲く花に呼び止められて振り返る

 

読み方

さくはなに よびとめられて ふりかえる

 

ポイント

何の花と、花の名前が特定されいませんので、この花は「桜」ということになります。花と云えば、桜ということは約束事になっています。

「振り返る」までは、云わないのが、俳句の表現で、「咲く花に呼び止められておりにけり」として、その後の味わいは、読者に任せましょう。

「振り返る」ということから、感じとしては、目にとまらぬまま、行きすぎてしまった足元に咲いている花なのかもしれませんね。この場合、「振り返る先に咲き居るチューリップ」となり、「呼び止められて」は、いりません。「呼び止められて」という原因にたいして「振り返る」という結果を示しますと、物事の説明になってしまいます。説明を嫌うのが俳句です。

 

 

原 句

出荷待つ似顔絵付きの菠薐草

 

読み方

しゅっかまつ にがおえつきの ほうれんそう

 

ポイント

農家の作業中の光景かもしれませんね。これはこれでいいのでしょうが、何かよそ事めいて、心にしみません。「われ(我)」を詠むこと。このことを意識して作句すること。これが大事だと思います。

己を打ち出し、己の小さな心の変化が己を超えて、普遍性を持った時、その作品は強い輝きを持つのだと思います。この句、<買ひ(い)たるは似顔絵付きの菠薐草>だとしたらどうでしょう。菠薐草を求めたときの作者の胸に去来したいろいろな思いが推し量られてくるのではないでしょうか。この句に同感する人も多いでしょう。