2011・4月

トンボの句 雑詠抄

建仁寺垣へ隠るる蛇蛇身     
花桃の一本ありて岐れ道     
春惜しむ鼻から覗く甕の藍    
行く春やたそがれ深き馬の尻   
晩春の午後を大磯ステーション  
行く春の凸面鏡の道路鏡     
己が眉白きものあり春の夜    
牡丹の乱れごころを見せにけり  
池に物落つる水音暮春かな    
行く春を不忍池無縁坂

遅桜銀山跡の洞の口

 

読み方雑感

原 句

取り箸は新の青竹木の芽和

 

読み方

とりばしは さらのあおたけ きのめあえ

 

ポイント

作者が「新」の字に「さら」と振り仮名をつけています。目の前で青竹を削って木の芽和えのための取り箸を作ってくれのでしょうか。そうであれば、「さら」ということはわかりますが?。

この句も前の句と同じように、そう云う事がありました、という報告を抜け出ていません。そこには詩がないことはすでに記してあります。

もしこてを、<取り箸の青竹添えて木の芽和>とすれば、青竹の鮮烈な青が目に見えるようになります。季語の「木の芽和」と取りあわされているからです。俳句では、表現しないで、表現するという表現方が一番強い表現になります。相手に想像させることで、その素材を提示するとよいでしょう。事柄ではなく、物で。

なお、「木の芽和」(え)」は、「きのめあえ」といえば、山椒の芽で、「このめあえ」というと、山椒以外の木の芽のことになります。