梅雨晴間蝶蟻毛虫洗濯機
短夜や摩耶夫人の托胎夢 摩耶夫人は、「まーやぶにん」
桔梗の一本咲ける寺の庭 桔梗は、「きちこう」
問ひありて未央柳と応へをり 未央柳は、「びようやなぎ」 応へ、は、「いらえ」
網干してほまち稼ぎの夏帽子
ときどきはすずめがくれを羨しかり 羨しかりは「ともしかり」
阿字観の塗香いただく五月闇 塗香は、「ずこう」
白シャツと白きパンツと東大寺
六月の雲の映れる金魚玉
鹿の子の鹿子とばして走り去る 鹿子は、「かのこ」
季語は季語として使おう。!
原 句
蔵の町鮎解禁の旗ゆらり
読み方
くらのまち あゆかいきんの はたゆらり
ポイント
鮎解禁と書かれた旗がゆらりとあったと云う句ですが、そう云うことがあったという句になってしまいました。鮎解禁は季語ですが、一句の中に季語を入れると云う約束事は守られていますが、季語が季語として一句をひっぱていないようです。初心者の句ですが、いい所があるので捨てがたいのです。季語が一句の生命。余分なことを削ぎ落としましょう。云わないことが俳句の表現法。
蔵の町鮎解禁となりにけり
ではどうでしょうか。ある町の景がいきいきと浮かんできませんか。
今月は、季語の使い方について
よい例、悪い例を具体的に示してみましょう。
よい例 ・季語が季語として働いている句…
萍や二十世紀のはやり唄
萍や雲の行方の定まらず
萍に大粒の雨落ちて来し
万緑や馬籠坂道五平餅
滴りや朝の勤行はじまりし
紙魚走る父の西比利亜出兵記 西比利亜は、「シベリア」
電車にて汗ふきあえる老夫婦
など、季語が全体に響き渡り一句を明確に、味わいを与えているようです。
悪い例 ・季語が季語として効果を発揮していない。あるいはそう使われていない句
すべて、この句にはこの季語でなければと云う季語が欲しいのですが、
他の季語に置きかえられるもの、
季語の説明やそれらしきことを云うもの、事柄の説明をしているもの、
事柄の中に埋没してただの 言葉として扱われているもの、
単純明快でないもの、志の低いものなど、など悪例は沢山あります
が、これが分かれば! これが俳句を、また、俳句からを学ぶことにつながります。
どの句はどれという指摘はしませんがよい例として挙げたものと比べて問題がありそうなものを羅列しておきます。
人世は運否天賦や萍に
萍や小さき命大切に
萍や佃煮買いに帝釈天
萍や噛み付き亀がいるという
浮御堂ゆふべ萍吹き寄りて
ひしめける濠の萍オール掻く
萍を揺らせしものに目を凝らす
昼寝子の日の匂いする寝息かな
夏足袋の出番待つ間を湿らせる
梅雨晴間干されし傘の赤と青
過ぎ去るをただ待っており青嵐
斑猫に蹤きゆけば径二股に
打上げのビールとナッツ夜の画廊
ビル壁面高圧洗浄炎暑来
居間の灯を消して金魚の夜となりぬ
風薫る山又山の木曾路かな
雨上がる木曾の朝市青田風
新緑や三和土の店に檜の香
大夏炉屋根裏煤の通り道
甚平の短き裾や初老入り
などなど。これらの句の中には、景物をはっきりと把握できていないと思われる句もありますね。
志を高く!
以上、一つの判断として、示して置きましょう。
他人失敗から学ぶ
自分の失敗から学ぶ
他人失敗からも、自分の失敗からも学ばない。自分の独自の境地なので、失敗と思っていないから。他人が失敗だと云うのと、自分との見解の相違。
表現には、これが正しいという方法は、一つとは云い切れませんから、
物事を学ぶ方法は、各人各様で、自分で会得することが大事ですから、
志を高く! 自分の世界を求めてください。 自得してはじめて身につくものです。