●今月の四句八句

トンボの句抄 

 

冬の日の暮れて街の灯残りけり

悴みてゐれば逃げ行くもの数多

わが挙措を見てゐるものに寒雀

千両も南天も紅日暮れけり

風花や石蹴り遊び今は見ず

大寒や八十八ケ所お砂踏

手鞠唄つぎつぎつづく日暮かな

遠山の寒の夕焼け家灯る

着脹れて俳句作者の顔なりし

薄氷の巴里巴里巴里となりにけり

喫茶去や白玉椿トリトマラズ

大寒や墨液紙を浸しゆく

地球儀へエアコンの風虎落笛

一月や大き翼の鳥の発つ

 

 

一句のポイント

   

原 句

底冷えの格天井に龍の無く

●角材を45セントメートルほどの間隔で格子に組んで上に板を張った天井。お寺でよく見かけますがその格子の一つ一つには、花などが描かれています。禅寺などで、八方にらみの龍などを描いた天井がありますが、それぞれその理由があってのことです。格天井に龍が描かれることなど…

 

原 句

参道に試飲のグラス寒造

●初詣の句であるとすれば、寒造の酒、まだ世に出ていないと思われます。その辺疑問が出てしまいます。

 

原 句

初天神結願の絵馬せめぎ合ふ

●初天神は、学問の神様、天満宮の縁日で1月24日です。「結願」は「けちがん」と読みます。絵馬を奉納するのは、天神様ですから合格祈願です。神仏に願を建てることを「発願(ほつがん)」といいますから、言葉を間違えたのでしょうか。

 

以上の三句は、ベテランの句ですが、俳句のための俳句のような感じがします。決してそんな気持ちは無いのでしょうが、安直に手軽なところで纏めているような気がします。これはどの句にも言えることですが、一句には、必ず、表現されている以上の真実とそれに伴う内実が伴わなければならないと思います。まず、対象を把握をしっかりとすることで、その立ち位置から詠むことが大切です。

 

原 句

友招き鏡開きや甘味処

●鏡開きの句、最近この季題、習慣も絶えてしまったようにも思えてさびい限りですが、珍しい句と喜びましたが、下五の「甘味処」、これでこの句、理解不能となりました。

「友招き」とありますから、一句の主人公は、作者「われ」ですから友とともに自宅で祝ったのでしょう。常識的には自宅で鏡餅を割ってその餅で雑煮を作ります。この句の舞台、自宅と甘味処と云う二つになっているところが理解を超えています。作者の立ち位置? 

 

原 句

初みくじ秘め事一つ増えにけり

●作者は夢も恥じらう少女でしょうか。われわれ仲間にはそういう人は居りませんね。この句「われ」という俳句で一番大事な前提を忘れているようです。本人はそれでよいのですが、直ぐに真似をする人が出てきます。真似は、佳いことは真似ず、悪いことは、すぐに流行りますね。

 

原 句

天を地を掴みし冬の大欅

●こういう句は、以前盛んに作られていました。現在、さらに作品として認められるためには、それこそ四苦八苦をすることになるでしょう。肩に力が入ってしまいがちですから、肩の力を抜きながら新しく認められる作品の完成・成功を祈ります。

 

原 句

書初や流るる止める跳ね袖

●書道で、「ホツ」とか「ナツ」とかいわれる、左から右へ払い抑える形。「ヘツ」といわれる、右から左へはらう形がありますが、この句、流るる、止めるとあり、「流るる」とはどの事だろうと想像を誘いながら、「跳ねる」「字」と云わずに「袖」とした展開、これで女性書家を表現しているところ、まさに俳句。ところで「流るる」とは…

 

原 句

寒しじみ桶を住処と犇めきぬ

●みそ汁の具となるのであろうシジミ。そのしじみが今いるのは桶の中。決して住処ではないでしょう。

<一晩を犇めきあえる寒しじみ>であり、

翌朝はみそ汁の中。「住処」を得てこれで出来たと思われたことと満足げな様子が想像されますが、作意が目立ちます。現象をそのまま、何も加えず、何も引かずに現象をありのままに見て、素材の本質を述べましょう。淡々と対象に向かい、やたらに自分が作り上げたものこの句で云えば「桶を住処」などを加えないことが肝心です。ともすると、こういう見立てを入れることが俳句だと思うようですが 、素材を大事に。 

 

対象のの把握と作者の立ち位置をしっかりと

 

作意よりも、なにごとも加えず、何事も引かずに

 

以上です