今月の四苦八苦 2012・3月

トンボの句抄

いつの間に前も後ろも春の山

畳屋の肘で縫ひをる春の闇

初蝶の消えたる白き痕残る

猿山へ春一番の襲来す

新しき鞄を買うて春の風

鞦韆やいつしか映画に及びゐる

蒲公英の踏まれ乳出る向島

目で追うて春水加速付けて去る

猫の声蟇の交めり赤々と

三月の過ぎるペパーミントハーブティ

つくしんぼたんぽぽはこべ車椅子

茶粥食ぶ畳に春の冷えありし

蛇出でて名のみ残りし練塀町

亀鳴ける博物館にミイラ棺

放屁して桜の花の咲きにけり

何事も無き野残れる落雲雀

 

 

 

◎偶 感

 

●今月は、東日本大震災の被災地を詠んだものと思われる句がありました。

 

1.傷つきし大地の息吹いぬふぐり

 

2.黙祷屋供華とも梅の今盛り

 

3.被災地の全山春を兆しけり

 

4.海凪る瓦礫の中の黄水仙

 

1. 2. の句、対象物ではなく、作者の意識が全面に出ていて、景として見えてこないところが欠点です。この句で云いたいところ、それを景(「もの」)で見せる、それが俳句です。このように言葉で言い表すのは散文の分野で、散文にしては、これだけでは完全とは言えず更に言葉を要すことになるでしょう。

 

4.の句は、それを景で見せてくれていますが、題材、取り合わせとも現地を踏まえた現実感が乏しいので心を打つところまでの作になっていません。

 

3.の句は、大震災があろうが無かろうが、季節が来れば、春の兆しを見せる大自然の営みを大変大づかみの捉えた句です。対する震災の被害者や被害地の現状があるわけですが、それを描かずに、読者の想像ににまかせています。これに応える読者があってはじめて成り立ちますが、ここが俳句表現の妙です。

 

この句は初心者の句ですが、「被災地の芽吹きをただ見せるだけ」という、慾得もない心のままの作ですがいろいろの事を語っていると思われます。前の句はベテランの作ですがベテランの故に陥る、作ることを優先してしまって観念的な作となってしまいました。何よりも、現地に足をいれて象徴的な「もの」を発見すことが求められるでしょう。

 

古くから俳諧および俳句の根本理念として尊重されているものは、

 

叙述の否定叙述しない表現無言の表現などという云い方で示されています。

 

それは、「草木咸能言語(そうもく・みな・よく・ものをいうふ)」 と『日本書紀』に書いてあるそうです。ものを示せば、くどくどと作者の云い分を叙述しなくともいいと云う事になりますね。( 「りんごの歌」の歌詞にもそんなことが出てくることをを思い出します。)

 

 

●始めて句を作りだしたのならともかく、ある程度の経験を積んだ人には、このような句は早く卒業してもらいたいものだと思っている句がありましたが、句会では賛同者が多いのにびっくりしました。それは、

 

やんちゃ坊お辞儀深々卒業す

 

です。

 

題材、用語、表現方法など、あれはだめ、これはだめという事は、これからどんな名句が生まれるかもしれませんから、軽々しく云うべき事ではありませんが、… むしろそれを活かし育てるべき事でしょう。あえてこの句を好ましくない句として取り上げます。

 

原句は、「ヤンチャ坊」 でしたが、「やんちゃ」と平仮名にしてベテランもこれを選ばれていました。カタカナでは、勿論、平仮名に直したとてもとれるところないでしょう。俗なことは俳句の宿命ですが、それをもってしてもこの一句の「たたずまい」が、これで好いと云う訳にはいきません。

なお、「卒業」の句として、季語のもつイメージの範囲内の内容であり、世の中に新しく」一句を加えるという句ではありません。 そういう意味からもここからの早い卒業を願っています。

 

この句だけではなく、これに類するものが散見されますが、この句を一例として、注意を喚起しておきます。

 

●以上の句のほか、「卒業」の句が季節がら多かったのが今月の特徴でした。抜き出してみましょう。

 

卒業の子へはなむけの上天気

 

国家区歌校歌で終る卒業式

 

寄せ書きの分厚きノート卒業す

 

赤点の多かりし子の卒業す

 

主語がない場合、一句の主人公は、「われ」ですが、作者の年齢からいって作者ではなく、だれかのことでしょう。誰のことであれ、卒業生の顔が彷彿としてくることが、卒業の句が備えてていなければならない条件です。具体的な人物像を伴わず、卒業と云うのはこういう事なんじゃないのと、いうような季語の範囲内の平凡な事の表現ばかりで、残念です。  

「上天気」ではありませんが、同じ天候を素材にして、雪の卒業式の先人の句があります。

 

垂れ髪に雪をちりばめ卒業す   西東三鬼

 

卒業式に立ち会った大人が自分の子か、よその子か、そんことを突き抜けて卒業と云うひとつのはなむけの行事に立ち会っている、これから飛びたつこどもへの祝福の句として、その象徴的な、ものを通して、「もの(景)」を通してその気持ちを詠んだものです。もの(景)、立ちあがり、情自ずからついてきているという例句です。 いききと卒業生と云うそういう場に入るひとりの人物像が描かれています。

 

●俳句の句読点

 

俳句の句読点とは、、「切れ字」のことをより分かりやすく、云い換えてみました。

 

揚雲雀空の深さを見て戻り

 

と云う句が出ていて、高点を集めていました。読者は、この句をどう解釈しているのでしょうか。

 

揚雲雀空の深さを見て戻り、

 

切れ字の所を句点で示してみましたが、こういう句ですから空の深さを見て戻ったのは、雲雀ではなく、作者?ということになりそうですが、…

人間なら空の深さを見てきたと確実に言えるでしょうが…本島と?マークが付きます。

雲雀だとすると、雲雀に聞いてみなければそれは分かりません。そう云う詩的表現だというのでしょうか。

 切れ字は思わぬ飛躍を実現してくれます。巧みに利用すれば上手く表現できるかもしれません。期待しています。

 

恐れずに、いろいろな句をつくり人に見せることが勉強です。 

発想は人それぞれ、他人に問うことはできませんし、他人が如何こうすることはできません。

好い句と云われるものをたくさん覚え、いつでも口を衝いて出るようにしておくことによってある程度は自分のものできるでしょう。俳句は「自得」の文学です。真似をして覚えましょう。

 

今回は、大変きついことを書きました。

他人事ではない、自分の事、自分の句を句帳に書きとめましょう。