花三分寂しきてふは人にあり
晩春や昼を小暗き部屋の壺
山中に独りとなれり蝮草
花は葉にタイタニック号百回忌
春眠の覚めて身体髪膚あり
花曇博物館に及びけり
芽柳の花こきまぜて隅田川
蹠から春立ちのぼる日なりけり
花蘇芳家運閉ざしし南京錠
ゴリラ舎の前に来てゐる暮春かな
灯点りて夜のはじまる螢烏賊
ぎしと鳴る廊下の音も暮春かな
八重櫻普賢象なりあんこ玉
偶 感
先月、
やんちゃ坊お辞儀深々卒業す
について、このような句から早く卒業して欲しいと書きました。ベテランがこのような句を採っていることにも触れました。
この句を採っているベテランの推奨の弁があります。
小学校の卒業だろう。きかん坊のやんちゃ坊主でいろいろ手を焼かせた子も、六年たって卒業となると神妙にお辞儀をして挨拶しているという俳句である。情景がよくわかってほほえましい。
まさにその通りの句。季語そのものと言っていいでしょう。
ある一人の少年の活き活きとした姿を描いたものものでもなく、微笑ましいという、そういう事柄をのべているもので、世の中には嫌になるほど、このような句は満ち溢れいます。
やんちゃ坊なども、そういう人物像が活写されいれば生きた表現になりますが…ただ単なる言葉として使われているだけで、句の幼さを際立たせてしまいます。
例えば次の句では、ぺちゃくちゃなどと随分、詩にはふさわしいとは言えないこと言葉が使われています。
雪だるま星のおしゃべりぺちゃくちゃと 松本たかし
この句は、「ぺちゃくちゃと」により、詩となりました。メルヘンの世界が現出、忘れられない、二つとない句となっていることがわかりますね。
くどいようですが、再度取り上げ、これを意識的に乗り越えて本当の「俳句のおもしろさ」を掴んでもらいたいと思います。
私達は、安いところで俳句を手にいれるな…と。精進をしていきましょう。
原 句
亀鳴くや愚直な父の黒鞄
読み方
かめなくや ぐちょくなちちの くろかばん
ポイント
この句では「愚直」と、表現しないのが、俳句の表現です。例えば、
亀鳴くや残りし父の黒鞄
と黒鞄に語らせるのが俳句の表現です。
原 句
春の夜の子宝の湯に婆の声
読み方
はるのよの こだからにゆに ばばのこえ
ポイント
子宝の湯に、もうその年を過ぎた婆をもってくるところ、如何にも皮肉な感じを出したところ作者の得意顔が目に見えるようです。また、そこに面白みを感じて採る人もいると思われますが、その狙いにやや厭味が感じられます。
春の夜の子宝の湯の込み合える
と、特別な意味を持たせずにあっさりと詠んだとしても子宝の湯の雰囲気は出ると思います。
次のような句がありました。
舞終へし役者の如き滝桜
子離れの思案顔なる残り鴨
雪洞に灯の入る薄暮花の宴
心攫ふ逢魔が時の花吹雪
黒牛の牧に桜の花明り
このように作者の我を押し出すことは、どうなんでしょうか。
成功とは言えない試みですが、このような試みから何を得るか?