椎若葉恋しきものに青柳町
身辺の人の老いたり桐の花
ひざまづく靴のソムリエクレマチス
明け方の夢から薄暑はじまれり
夏めける板の間すこしつめたくて
余花に遇ふ白髪一本光らせて
通り過ぎ泰山木に返しけり
頭髪の一本光る竹落葉
薔薇園を杖つく人と車椅子
ハンカチの白き花あり太極拳
K-4POP韓流ドラマ夏めける
木下闇大道芸の帽子あり
中空は虻の高さや絵画館
鳥の恋九相図只今展観中
◎ポイント
原 句
フラダンス踊る素足や夏来たる
読み方
フラダンス おどるすあしや なつきたる
ポイント
「素足」「夏来たる」は、いずれも夏の季語ですから季語は一つにしましょう。フラダンスでは、季節を問わず素足で踊るものですから「夏来たる」を季語とすればよいでしょう。
添削後
フラダンス踊る素足の夏来たる
原 句
初夏や辻売り八百屋の人出かな
読み方
はつなつや つじうりやの ひとでかな
ポイント
「や」「かな」は一句の中では、使わぬ事。理由は、添削後の句と比べて経験を重ねればおのずと分かったきます。
添削後
初夏の辻売り八百屋の人出かな
原 句
路地裏の闇に匂える花蜜柑
読み方
ろじうらの やみににおえる はなみかん
ポイント
もう今時、「路地」と云うアバウトな表現は陳腐です。添削後の句のようにすれば、情景が立ち上がるのではないでしょうか。人さまが使って流行した言葉を無意識にそのまま使う事は、止めると心に決めましょう。
添削後
廂込む闇に匂える花蜜柑
原 句
画廊へと蜜柑の花の咲く小路
読み方
がろうへと みかんのはなの さくこうじ
ポイント
蜜柑花咲く画廊への道、佳い題材を得て爽やかな句に、と期待しましたが「小路」と下五をおいたことでつまらない句になってしまいました。場所をこんなにリアルに表現することは、告知のための文章ならともかく、「詩」では、全く無用。添削後の句を味わってもらえれば、それは分かると思います。
添削後
画廊へと蜜柑の花の道を行く
原 句
ルピナスや薄く紅差す修道女
読み方
ルピナスや うすくべにさす しゅうどうじょ
ポイント
ルピナスは最近注目されてきたインパクト強い花です。季語にはまだなっていないかも知れませんが、いずれ取り上げられるでしょう。それには好い句を量産することです。修道女との取合わせは一つの発見で手柄です。残念なことは、「薄く紅さす」修道女ではどうでしょうか。色が二つに分散して、印象が薄くなってしまいました。黒い修道服とルピナスの取合わせこそこの句は生きると思います。文章ならともかく「薄く紅差す」とは、過剰表現です。意味を伝えるものではないのが俳句の表現です。
添削後
ルピナスや黒衣まとえる修道女
原 句
滝落ちて緑の山をわかちおり
読み方
たきおちて みどりのやまを わかちおり
ポイント
こういう句は有無を言わせぬ勢いが必要です。
添削後
滝落ちて緑の山を分かちけり
原 句
母の日に生れし母の裁ちばさみ
読み方
ははのひに うまれしははの たちばさみ
ポイント
母の日は、一定の日にちが決まっているわけではないので不自然です。成り立たないのでは?
添削後
?
次の句などは、よく分かるのですが、「詩」には遠いものです。分かるからと云って真似をしてはいけない世界です。
独り居の暮れて卯の花腐しかな
古茶淹れて金環蝕を見る気なし
老年になろうとも、生きている喜びを。そんことが感じられる句を生み出して欲しいと思っています。