今月抄
大砲も勘三郎も亡し寒夕焼
雪となり灯し美し東京都
ストーブや新沼謙治の歌かかる
冬帽子脱ぎていつもの人なる
榾焼べるラジオの歌の日本海
はつたいを頬張りすぎし暖炉かな
日差しやや伸びたる街の雪達磨
雪達磨ほつたらがしにされてをり
答え出ぬことをそのまま福寿草
冷たさの空へ昇れば冬の雲
空からの一語一語の雪降れり
一月のとぼその中の仏たち
一月や樞を落とす音のする
遠吠えの犬へ寒柝打ちにけり
一月の鼻からも息口からも息
雪掻ける音はあの仁根深汁
俳句は、簡潔に
俳句は、五七五の3節で成り立っているわけですから、この範囲で言葉を斡旋すればよい。とわかっっていてもごたごたとあれもこれも織りこもうとする。
その例、
喪の家に向う夜の鼻冴ゆるなり
「喪の家」とはこれまた分かるようでわからない。喪中欠礼などの葉書が年末に届きますがこれも喪中のことを知らせる通知です。「喪の家」とは、喪中のこと、これをも意味することになりますね。
多分この句の「喪の家」は、不幸があった家のことで、夜ですからお通夜へ向かっているところでしょう。それなら「通夜」とすればよいでしょう。お弔いのことを「喪」というのは、どんなものでしょうか。
「通夜へ行く」とすれば、「喪の家に向う夜の」などと事柄を述べなくてもよくなります。
通夜へ行く顔の真ん中鼻冴ゆる
こんな風にすれば、事柄は、三つ。るる、述べなくてもよくなります。一例です。
正しい言葉づかいを
よく、五十路とか六十路などと云い、俳句にも用いられますが、
五十路とは、50歳のこと。六十路は、60歳のことです。
50代とか60代とかという意味でこれを遣う人が多いのですが、それは誤りです。それを少し出た時は、五十路あまりなどと。俳句には向きませんけれども。
今月の句会にも、八十路が出ていました。別項の「今月の句会報」には、八十路の句がありましたが、別の言葉に言い換えて載せております。
手作りだとか食感、完食など、食べ物についてもいかにも無神経に言葉が遣われていますが、気になります。お手製、口当たり、舌触り、歯ごたえなどという美しい言葉があります。完食などは、病院で病人が今日は、食事を完食出来ましたねというように遣われると病状の好転が窺われます…
このように、俳句を得るためには、美しく的確の言葉を求めましょう。まさに四苦八苦。