◎今月の四苦八句  2013・4月

トンボの句抄

 

提燈を軒に吊るせる薄暑かな

反り橋の向うに御堂夏めける

江戸絵図もカレーライスも夏はじめ

めまとひの一つを抜けて又ひとつ

ここからの新樹並木を畏れけり

十文字に光るは燕蔵の町

椎若葉湯島聖堂静かなり

板の間に五月の旭射しにけり

春惜むこけら落しの大歌舞伎

筍の皮剥くけふの日の了る

死ぬ日まで生きてゐるなり桜の実

みほとけのまなこふせゐる四月尽く

年経れば齢は古りぬ五月来る

投げられてかはらけ浮上春の逝く

川岸を歩きて居れば春の行く

春惜む博物館の休み椅子

杖突きて歩きし日ありいぬふぐり

杖突くもカメラを持つも牡丹かな

なりなりてなりなるものや蝌蚪の紐

夏空にポプラ並木の整列す

一光三尊仏の来てゐる町薄暑

駅頭に競馬新聞子どもの日

 浴衣着て少女の乳房高からず   高浜虚子

 

があります。

 

そして、戦後すぐ(昭和22年ごろ)

 

  おそるべき君らの乳房夏来る   西東三鬼

  

という句が出て俳壇を賑わせました。

当時の世相を表すとともに、女性が持っている畏れるべき力を活写したものとして評価されています。

従来の俳句表現を一歩進めたものです。

 

 

 

今月の投句に、こういう句がありました。

 

  胸元に入りし銀座の春の風

 

それなりの事を、それなりの常識もとににまとめた句ですが、ここをもう一歩ふみこんで独自の自分句にしてみることを考えてみることは必要です。

また、銀座という固有名詞がありますからこれをを活かし現在の句を…

 

一歩踏み込んで最大公約数的な俳句ではなく、自分の句をと。

 

「入りし」まで、この句で踏み込んだこの作者なら、こんな発想が、出てもいいのではと思って次のように…

  

   ちちぶさに入りし銀座の春の風

 

こんな句を見せると、「私は、そんなにはしたなくは無い。」と云われそうです。

 

通りいっぺんに纏めた句ではないことは、添削後の句を見れば、だれでも分かります。「ちちぶさ」を漢字書にしないところが工夫です。

 

ワクワクドキドキしている作者の心の動きが感じられる所まで思い切って踏み込む。そんなことを考えて実行して見ようということです。

 

俳句は、「てにをは」などの技術的なことは、教えること出来ますが、発想法を教えることはできません。

それをしようということで、このホームページで苦労しているところですが、恰好な材料がありましたのでここに、取上げてみました。

 

この作者の目の止れば幸いです。

 

そして多くの人にもこの項目の狙いが届けばなお幸いです。 

類想類句から抜け出すために、表面だけの「他人事俳句(ひとごとはいく)」から抜け出しましょう。

 

四苦八苦しながら…