◆俳句月報 2016・10月号

目次

◎1.定例句会報

◎2.今月の吟行・国立西洋美術館

◎3.俳句の語句の読み方

◎4.今月の四苦八句  

1.定例句会報・36周年記念句会  2016・9・25

          入選句

水害の山積みの家具赤のまま     ミノ

大樟の幹の湿りの九月かな      イカ

龍淵に潜み遠野の空深し       アヒ

本丸の大奥跡や草の花        シケ

有の実や明日打たるる造影剤     ミノ

月見団子狙う童の忍び足       イケ

秋ともる駅舎に今も靴磨       アヒ

梵妻に会釈を返す萩の花       イカ

ささがにの径や芒に阻まるる     アヒ

 

添削句

 

原 句 水害の家具の山積み赤のまま

添削句 水害の山積みの家具赤のまま

※不自な言葉遣いを修正

 

原 句 秋ともし駅舎に今も靴磨き

添削句 秋ともる駅舎に今も靴磨

 

※眼前の景。「秋ともし」は、景ではなく、説明になります。また、靴磨きの「きを送り仮名をつけると動詞になります。靴磨きの人がいたということですから「き」を外して「靴磨」と名詞で句を受けなければなりません。原句は、説明の句から眼前の景の句となり、情景が浮かんできます。

 

原 句 梵妻に会釈返しぬ萩の花

添削句 梵妻に笑顔を返す萩の花

 

※梵妻は、お寺の奥さんのこと。お寺の奥さんがにこっと笑顔迎えてくれたので微笑み返しをしたと云う事でしょうか。それはそれで、よくわかりますが、自分が笑顔を返すのですから「返しぬ」は、なにか違和感も感じられます。「返す」でよいでしょう。

 

◎難解句?解読

 

●分け行って登る山道芒原

 

「分け行って」とありますから興味は、その後どうなったのか?…。ところが、「登る山道」と山道を登っている場面に話題が飛んでしまっています。

 

同じようでいて「分け入って」ではありませんから句の解釈も違ったものになります。

 

さらに「芒原」が出てきますからまったく訳が分からなくなります。

 

  芒原分け入りゆけば登山口

 

話の順序としてこれならば、理解できます。

 

●とみこうみして竹を伐る斧谺

 

「とみこうみ」は、「と見こう見」、「あちらをみたりこちらをみたり」の意です。「とみこうみして」ですから、自分がそうしていることになるでしょう。

   

   ・とみこうみして竹を伐る…斧谺

 

くどいようですが、「とみこうみして」ですから、「竹を伐る」まで続けて読むことになります。とすると下五の斧谺が? 

 

陰暦八月は、性のよい竹を得るために良い時期とされていて、竹を伐る音が木霊のように聞こえることがあります。この頃、竹を伐っている場面でなく、その音を竹を伐る音が詠まれることがあります。「竹を伐る」は、秋の季語です。

歳時記を見てみますと、例句に<竹を伐る音のしてをり拝観す>がありました。

 

掲句では、「斧谺」と置かれていますから、空間に響き渡る音です。原句では、手元の音ですから、どうしても素直に意味が呑み込めません。

 

  とみこうみ竹の伐らるる斧谺

  きよろきよろす竹の伐らるる斧谺

 

竹伐る音にその音はどこからと「あちらを見たりこちらを見たり」しているところでしょうか。

 

  とみこうみ…竹の伐らるる斧谺

 

と、このように解釈すれば、この句の意が分かります。

 

竹を伐るといえば、京都鞍馬寺の竹伐会があります。

写真のように弁慶被の鞍馬法師が竹を蛇と見立てて竹を伐ります。二手に分かれて行いその遅速を争う行事です。水への感謝、五穀豊穣を祈るものです。

ただこの行事は、夏、6月22日の行われ夏の季語です。

 

争いですから、きっとにらむときなど顔を左に右に向けて正面に決めます。能などでは、面を切るといわれる演技の型です。当然これは、とみこうみしているよいうわけではありません。

 

季節が違っていますからこれとは別物でしょう。

 

◎季語をよく理解しましょう

 

●季語の祭と秋祭。

 

祭は、歳時記では、夏の季語になっています。古くは、京都の葵祭のことでしたが今では夏に行われる祭礼の総称となっています。別に、「春祭」「秋祭」と区別すると書いてあります。実は、冬の祭もあり、これは、「里神楽」。

「秋祭」は、夏の祭とは違うわけですからそのことを意識して作句するようにしましょう。

 

・秋祭高張提灯勘亭流

・御神酒所の当番なれど祭り焼け

・山車通る氏子背中で寝りおリ

・次世代の担い手育つ秋祭

・声合わせ祭準備のテント張

 

これらの句、祭なのか秋祭なのかはっきりしていないように思えます。

 

例えば、「高張提灯」といえば、町場の祭、夏の祭の雰囲気です。高張提灯の文字が勘亭流とありますがそれほど珍しいものではなく今更取り上げるまでもないでしょう。

実際に、恰好が良いと秋祭に高張提灯が使われていたとしても、秋祭には相応しいものと思われません。

  

・山車通る氏子背中に寝りおり

 

「山車」は、嫌でも夏の季語ですから夏祭の句になりますが、思い切って

 

・秋祭氏子背中に寝りおり

 

とすると秋祭として別の味わいが出てきそうです。

 

次の句は、夏の季語の「祭笛」の字が入っていますが、秋祭とは言わずに「秋祭」とわかるようになっています。

 

・梨売られゐる頃来れば祭笛

 

秋祭は、秋の収穫を感謝する祭で、村祭を思わせる祭でしたが、世情は大きく変化してきています。

 

ここではあえて触れませんが、季語の夏祭の本意を理解することが大事です。

 

●季語の「茄子」と「秋茄子」

 

・煮びたしの紺も味なり秋茄子

 

の句に共感者が多かったようです。

 

季語の「茄子」と「秋茄子」。違いがあるから別の季語として立てられているものです。

この句の「紺も味なり」に共感したのでしょうか。また秋茄子の句に相応しいと、一票を投じたものでしょうか。

◎2.今月の吟行・国立西洋美術館 2016・9・3

東京に初めて世界遺産としてこの西洋美術館が指定されて興奮冷めやらぬ上野。ル・コルビュジエの設計の一つとしてこの美術館があるわけで美術鑑賞共にその設計がどうなのかも見どころ。

 

吟行の企画担当者はその辺も考慮の上吟行地を選んでいると思います。担当者は、大きな決断をしながら事前に吟行地を選ぶということを楽しんでいるものと思われます。

 

それに応えてどのような句をものにするのかは、参加者の楽しみ。企画者との真剣勝負でもあります。企画担当者がどういう句をつくられるのか、毎回楽しみにしておりすが、今回は、体調不良で欠席ですからそれを確認でないのは残念です。

 

多分、世間で取上げられている話題に振り回されることが予想されますが、さて、どうなりましたでしょうか。実は、これに振り回されることがこの吟行では一番避けなければならないことなのです

。。。。当日作品抄。。。。

          
コルビュジエの杜の人出や秋澄む日       イカ
秋の雲硝子の壁の美術館
「考へる人」のそびらの秋日濃し
秋暑し「地獄の門」を仰ぎ見て
九月かな子規球場に声あがり
手を振りて別れ残暑の上野駅
秋暑し探して駅の昇降機

 

          
身じろぎの無くて残暑のロダン像        オミ
東京の世界遺産や秋の蟬
秋の声文化遺産の中のに居り
秋高し脚光浴びし美術館
中庭に秋を感じてどの料理
秋暑し昇降機の乳母車
電車待つ法面被う葛かずら

          

 

新涼やクロードモネの睡蓮画          チシ
秋暑し上野駅前赤信号
日暮里のホームから見ゆ葛の崖
花木槿ロダンの像と向き合へり
初秋やモネもゴッホも間近にて
すいれんてふカフェに入りて鱸食ぶ
涼新た休憩コーナーの絵本見る

          


秋天や世界遺産の美術館            アヒ
観覧料無料の齢秋の風
大玻璃の窓をあふるる秋の雲
木の床にブラインド越しの秋日影
園庭の「カレーの市民」秋日濃し
「考える人」へ枝を延べさるすべり
日の長けて白き木槿に疲れあり

 


芸術の秋の上野となりにけり          アノ
秋晴れや世界遺産を駅近く
前庭のロダン彫刻秋日濃し
「考える人」残暑に何を考える
ル・コルビュジエの世界遺産や秋気澄む
新涼や聖母マリアとキリストと
秋思う光と影の美術館

          


異国人の世界遺産や秋陽受く           タリ
天井の秋の陽光や裸婦白し
進み行く真正面に睡蓮の絵
コルビュジエ造るテラス人無く秋の風
壁タイル緑の映える夏の正午
絵に疲れ廊下陽射しの柔らかさ


         
黒々と何考へる人秋の来る           トンボ
白秋や地蔵門はた邪宗門
秋光や言挙げさるる美術館
モネの絵へはや秋冷の至りけり
人ひそと音を無くしし秋気かな
秋光を背負ひて這入る美術館
秋の日の陰影深し上野山

 

◎3.俳句の語句の読み

 

水飯や辻褄あふもあはぬとも

 

…水飯は、「すいはん」。夏の季語。

 

硯洗ふ日なりし顔を洗ひ寝る

 

…硯洗ふ日は、「すずりあらうひ」。七夕の前日に、硯や机を洗い、文字や文筆の上達を願う行事で「硯洗」という季語。

 

曲屋と共に古びる鉄風鈴

 

…曲屋は、「まがりや」。 かぎ形に曲がった平面を持つ民家。突部に馬屋を設けている。特に南部地方で見られる形式の建物。

 

つくも神灼けゐし粗大ごみ置き場

 

…つくも神は、「付喪神」などとも書かれる。この句では、粗大ごみ置き場に出されている箪笥や机などをつくも神と見立てているようです。一つの解釈を示したものでしょう。

 

玫瑰や鱗光りの鱗光りの噴火湾

 

…玫瑰は、「はまなす」。

 

苧殻にて作る両足牛と馬

 

…苧殻は、「おがら」。

 

・梅雨燕船頭解きにけり

 

…舫は、「もやい」。

 

・蛍や手提行灯耳門まで

 

…蛍は、「ほうたる」。俳句独特の読み方です。
…耳門は、「くぐり」。潜戸のこと。

 

・梅雨曇宇迦御魂はビルの間

 

…宇迦御魂は、「うかのみたま」。伏見稲荷大社の主祭神であるところから稲荷神(お稲荷さん)のこと。

 

半夏の日水族館に来ておれる

 

…半夏の日は、「はんげのひ」。七十二候のひとつに半夏生。これは、夏至から十一日目に当たる日で太陽暦では七月一日ごろ。

 

◎4.今月の四苦八句   2016・9

雑詠抄

 

魚の目やあなや秋思のはじまれる

毬栗(いがくり)と笑栗(えみぐり)並ぶ飾り窓

蟋蟀や箱型算盤(はこそろばん)も民具展

つるみゐる蜻蛉の行方追ひにけり

一歩づつ行けば芒の増えゆける

好晴や赤のまんまを抱へる子

かまつかをライトが舐めて去りゆける

思はざる来客ありし彼岸花

一刹那ごとに増えゆく露の玉

秋草の殊に芒の寂しさう

風跡をつけて芒の道生る

かすがののおしてる月と見しやこの月

かぞいろは今はいづくぞ露の玉

秋の山何とはなしに掌を合す

鉦叩深く指酌み合掌す

紅萩の紅を濃くするひとと遇う

桔梗のどこに咲きても人恋し

発破音かの地からくる赤とんぼ

ひるがへる恨み葛の葉切もなし

葛の葉の百万遍もひるがへる

梨売られゐる頃来れば祭笛

吾亦紅白き掌白き指

踏切も赤のまんまも豆腐笛

ひぐらしの声や城跡音絶えし

つくつくし式内神社の只暗し

美しきものとし吹ける秋の風

白桃の強情ぶりを愛しけり

秋雲をいくつ見送る深呼吸

全身のいのちへ染みる黒葡萄

朝顔の日々に小さく咲き上る

ひともとの足跡残る秋の浜

ほろほろと心ののさはぐ鳳仙花

電線を渡れる栗鼠や豊の秋

石段を上り終れば秋の風

秋風の縁切り寺を見下ろせる

芋の露ころころころと子の遊ぶ

秋薔薇ひとすぢの色立にけり

烏瓜一つが人を集めをり

見えてゐて手に入れ難き烏瓜

溶岩山を赤蜻蛉の覆ひけり

何ゆゑにその名もらひし女郎花

猫の瞳の縦一文字天高し

家付きの野良猫の来る虫の声

つかまむと前へ前へとちちろ虫

方丈へ飛び出て来るちちろ虫

七草の三つ数へるをみなめし