◎俳句月報  2018・08月号

目次

1.7月定例句会報

2.今月の吟行・7月1日、品川富士山開き・品川神社

3.俳句の語句の読み方

4.今月の四苦八句

 

◎1.定例句会報  2018・7月  2018・7・22

入選句

 

夏帽子深めのかぶりブランコに       ハセ

水打ちて青竹垣の色増せり         イア

遠雷やわれに落語の安息日         アノ

小上りに鬼灯市の鉢ふたつ         イカ

過去帳の箔の飛び散る曝書かな       アノ

片蔭や小江戸川越駄菓子店         チシ

 

 

添 削

 

添削の要点は、いつも言っているように 景が立ち上がってくるように!

しています。これこそが俳句の一番大事なことです。

 

片蔭や小江戸川越駄菓子店 ⇒ 片蔭や飛騨の高山三の町※(添削と言うより改作です)

片蔭に若き親子と乳母車 ⇒ 片蔭や若き夫婦と乳母車

片蔭に引売りの来て賑はえり ⇒ 緑蔭へ引売りの来て賑はえり

献花台夏帽丸め進みけり ⇒ 夏帽子丸めて進む献花台

手動ドア開けてホームへ遠青嶺 ⇒ 手動ドア開けて下車する遠青嶺

 

添削は、これで終わりではなく、ここから始まるものです。どうしてこうなるのか考えてください。

今までその努力が感じられるものがないように思えます。同じ過ちを繰り返しているようです。

 

 ※内容がない句は、添削に取り上げることができません。

 

◎2.  今月の吟行 7月1日 品川富士山開き・品川神社

          
山開き六根清浄唱和せり       イア
山開き猿田彦祠の一合目
ばらばらのおつたえあげる山開き
ぶじかえる浅間神社山開き
富士塚を登りてビル群雲の峰
          


富士塚や蜥蜴一ぴき身を隠す     オミ
風涼し六根清浄唱えおり
石段を涼しき風の登り来し
緑蔭や島倉千代子の逸話など
パンパンと手を打つ音や山開き
         

 
炎天や行者の祠一合目        チシ
富士塚の頂上涼し海の香も
富士塚やくさりの手すり山開き
木下闇偉人の墓の荒れてをり
炎天の急磴一段一歩づつ
          


社殿へと登る手摺の灼けてゐし    アヒ
訥訥と祝詞あげゐる山開
大き蟻走る富士塚登山口
富士塚の頂に人盛夏来る
帰るさに見上ぐ富士塚風青し
          


梅雨明けの祝詞唱和の講の人     アノ
山開き富士塚からの摩天楼
富士講者狭き社に神事待つ
急坂の裏参道や木下闇
一国(いちこく)の騒音とどく山開き
          


男衆の白の行衣(ぎょうい)の涼しかり     シミ
洩れ聞こゆ品川富士の山開き
山開きはずせば汗の腕時計
鉄道の響き行き交う山開き
海道の第一の宿山開き
          


石段を昇れば海風頬を吹く     タリ
山開き神主のお祓い厳そかに
白装束六根清浄読み上げる
講の人白装束で「拝み」けり
富士塚へ裸足で登る山開き
          


昇り龍ありて神社や梅雨明けぬ    ヤミ
家康の縁起の面夏日影
山開き富士溶岩の黒々と
先達の蜥蜴の登る八合目
板垣退助の墓の木下闇
          


山開役行者と猿田彦         トンボ
その中に車椅子ある山開
木下闇食み出て品川富士開
涼しさも品川富士の八合目
拝みする背中の丸し山開

 

 

  富士山信仰残影     

 

 富士山を信仰する富士講は戦国時代の終わり頃角行と言う人が富士講の教義を確立したと言い、江戸時代の中頃に伊勢の人食行身禄(じきぎょうみろく)と江戸の村上光春と言う人が出て江戸中に八百八講と言われるほどの富士講が結成されるほど盛んになりました。
 

 この二つの内身禄派(みろくは)が優勢でこの品川も身禄派の一つです。神事は富士塚を中心に行われます。富士塚は人工の富士山で仙元大菩薩(せんげんだいぼさつ)を祀ります。携行出来る拝み箪笥に御身抜(おみぬき)という掛軸を御本尊とし、御伝え(おつたえ)を唱えることを拝み(おがみ)。ここではこれを祝詞と書いてありました。その冒頭部分を抜いてみましょう…

 

〽三国の光りもとをたつ
ぬれハ朝日に夕日ふし(じ)の極楽
 南無仙元(なむせんげん)大菩薩

 

〽見るにあかぬ雪うちかゝる
ふし(ふじ)の山たゝ(ただ)しろたへに
こゝろふ□かくも   ※□は脱字

 

〽不二の山登るはらひの
雪こおり千代萬代も
空にしられて

 

以下延々と続きますが略

 

◎3.俳句の語句の読み

  ●語句の読み※採り上げた句は任意   

 
 今回から、読みの他若干の見解を加える事があります。

 

・●根津にある八重垣町会梅雨に入る

 

…八重垣町会は、「やえがきちょうかい」。
 ここは、根津神社門前町と言っていましたが、明治二年から根津八重垣町となり昭和四〇年に廃されて根津に。

 

旧町名が町会の名として残っており、その名の由来は根津神社の祭神素戔嗚尊の歌に「八雲起つ 出雲八重垣つまごみに 八重垣造る その八重垣を」からでしょう。

 

根津門前町・根津八重垣町と呼ばれていた地区は、遊女屋が置かれ、伊勢屋・大黒屋など多数の遊女屋がありました。せめて町会の名として遺そうというのでしょう。

 

・●遅桜片葉の葦を嫗より

 

…片葉の葦「かたはのあし」。日本古来の伝説として全国に分布。本所七不思議や越後七不思議の居多神社に伝わる話しなどが一例。

 

・●夕凪や妻入屋根の黒く浮く

 

…妻入屋根は「つまいりやね」。多分、切妻造の妻入の家の屋根の意でしょうから「切妻屋根」と言えば情景が浮かびます。

 

・●わたなかの光夏めく出雲崎

 

…わたなかは「海中」。

 

・●半世紀変らぬ茶房緑さす

 

…茶房は「さぼう」。
只事で印象不鮮明なのは「半世紀変らぬ」ものが何?、それが分からないためでしょう。

 

・●練切をあれこれ選び新茶かな

 

…練切は「ねりきり」。

 

・●芍薬のひと夜に散れる別れかな

 

…芍薬は「しゃくやく」。
 芍薬に対して「ひと夜に散れる」に違和感があります。

 

・●腑に落ちる熊谷草の大き母衣

 

…腑に落ちる熊谷草の大き母衣は「ふにおちるくまがいそうのおおきほろ」。熊谷草には、大きな唇弁(しんべん)がありそれが直実の母衣、と腑に落ちたという意の様です。

 

自分が腑に落ちたというわけですが読者を腑に落ちる様にさせたときに俳句が完成。俳句ではなく、その前のツブヤキのようです。

 

・●花は葉に火炎太鼓の寄席有りと

 

…火炎太鼓は、「かえんだいこ」。落語に火炎太鼓の噺がありいまそれがかかっているということでしょう。

 

・●青紅葉ゆれて水面をうめにけり

 

…青紅葉は「あおもみじ」。秋の紅葉とともに新緑のカエデを青紅葉と言って愛でています。

 

・●庭園を経回る女流夏帽子

 

…経回るは「へめぐる」。